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  歴史

チューリンゲン州の州都。「王の道」とよばれるパリからライン川をこえてウクライナのキエフをむすぶ通商路にあり、交易で栄えた。通商路は北にものびていて、ハンザの盟主リューベックとつながり、南では商業都市ニュルンベルクとも結ばれていた。

 町の基礎が築かれたのは742年。英国人の伝導師で「ドイツ人への使徒」とよばれたボニファティウスが、司教区を設定したのが始まりとなる。

 ローマ教皇は719年、ボニファティウスにゲルマンの森でのキリスト教伝導を命じた。そのころゲルマンの森に伝導にはいるのは、たいへん危険なことであり、「伝導すなわち殉教」を意味するほどだった。市庁舎の壁画には、ボニファティウスの伝導の図がある。ボニファティウスはゲルマンの森での布教活動には成功したが、のちにフリースランド(オランダ)で殉教している。

 交易の最盛期は14世紀から15世紀。ハンザ同盟にも参加。交易にくわえて「チューリンゲンの青」とよばれる染料をつかった染め布が、町に富をもたらした。染料は大青(だいせい)という植物からつくられた。1392年には大学ができた。

 宗教改革の主人公マルティン・ルターはアウグスティン派の修道僧となって、この町の修道院で5年間の年月を過ごし、その後ヴィッテンベルクの大学に移っていった。

 16世紀になると町は衰退にむかう。世界の通商ルートが一大変化したことと、染料のインディゴが安くインドから輸入されるようになって、染物で利益があげられなくなったことによる。18世紀には造園と農業でもりかえし、町は息をついた。

 19世紀始め、ナポレオンは「エアフルト皇帝会談」でロシア皇帝と17日間の会談をもった。ロシア遠征の5年前である。このとき、ゲーテにも会った。2人はおたがいに深く尊敬しあっていたといわれる。ナポレオンはゲーテにレジオン・ドヌール勲章を授けている。1871年、ドイツは帝国としてプロイセンの主導で統一。市の城壁と城塞の城壁は、このとき取り壊された。

 第二次世界大戦で敗れたドイツは、東と西に分断され、エアフルトは(旧)東ドイツ領内の都市となった。45年後の1990年、ドイツは再統一される。これに先だって東と西のドイツは、秘密裏に「ドイツ人だけで」統一への道筋を話しあっていた。エアフルトの駅前のホテルが、会談の場だった。

 
 
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