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Tourist-Information
Rathausplatz 2-4
79098 Freiburg
Germany
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Fax: +49-(0)761-3881-887
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大聖堂
ドイツでもっとも大きなゴシック様式の教会の1つ。赤色砂岩で造られている。13世紀初頭にロマネスク様式で建築がはじまり、西に向って造られていった。完成したのは約300年後の1513年。したがってヨーロッパ聖堂建築様式の変遷を見ることができる。塔は四角形の土台に八角形の鐘楼がのり、さらに尖塔がのっている。鐘楼と尖塔は透かし彫りである。正面入口のポーチは、聖書の寓話、聖人の像などで飾られている。大聖堂に入ると、南の翼廊に13世紀から14世紀にかけてつくられたステンドグラスの窓がある。この部分が最初に造られたロマネスク様式の内陣と考えられている。中央の祭壇はハンス・バルドゥング・グリエンの作。大学礼拝堂の祭壇の扉の絵はキリストの誕生と聖なる3人の王の礼拝。ハンス・ホルバイン(子)の作品。その他、見るものが多い。
ミュンスター広場
ミュンスターは大聖堂の意味。19世紀以来、この広場でマーケットがひらかれるようになった。大聖堂の壁には、例えばパンのように商品の分量を示すマークがきざまれている。この広場は歴史のある建物で囲まれている。赤い建物はカウフハウス(旧商館)。1532年に建てられた。切妻屋根で出窓をもち、1階はアーケードになっている。ハプスブルク3人の皇帝と1人の皇子の像がファサードにある。ヴェンツィンガーハウスは、18世紀なかばに画家であり彫刻家だったヴェンツィンガーの住居。現在は市の歴史博物館。コルンハウス(穀物倉庫)は1971年に再建された。
商業都市として大量の品物が町をとおってオーストリア、ドイツ、フランス、スイスの間を行き来した。なかでも群をぬいたのが、塩であった。中世の北ヨーロッパで、塩は白い黄金と呼ばれる貴重品。現在では想像できないほどの高値がつき、例えば100キロの塩で豪邸が買えた。塩は味つけに用いられただけではなく、穀物や肉や魚の腐敗防止と保存のため大量につかわれた。北ヨーロッパの長い冬を生きのびるため、保存食は絶対に欠くことができなかった。フライブルクで取引きされた塩は、もっぱらオーストリアや南ドイツの岩塩だった。町にはザルツ・シュトラーセ(塩の通り)がある。
シュヴァーベンの門
塩が巨大な富を生んだ証拠がこの城門。町の東に立っている。塩を商ったシュヴァーベン地方の商人が建造した。この門は、第2次世界大戦の惨禍を生きのびた門でもある。ドイツが降伏する半年前、イギリス空軍がこの街道の町に爆撃をくわえ3000人の死者がでた。旧市街は壊滅したが、シュヴァーベン門は破壊からまぬがれた。
旧市街
旧市街は戦後に再建された。市民はまだ戦争の余塵がのこるはやい時期に、街には車を入れないと決めた。街の周囲にはパーキングが造られ、バスやトラム、あるいは徒歩で無理なく旧市街に入れるように設計された。市街の再建についても昔どうりにするか、全く新しいものにするかで激論がかわされ、票決の結果はわずかの差だった。しかし決定には、反対派もしたがった。昔のままの水路もつくられて、小川(ベッヘレ)という愛称でよばれている。水路にはすでに中世から水がひかれていて、消火用や家畜の水飲み場として利用されていた。現在はラインの小石を敷きつめた歩道と共に、市民の憩いの場となっている。
フライブルクは黒い森(シュヴァルツ・ヴァルド)の西にあるだけに、森や林のエコに関する分野の研究がすすんだ。環境問題の深刻化にともない、視察団が頻繁に訪れ、国際会議が一年中ひらかれている。伝統ある大学や音楽院、歴史のある町としてだけではなく、現代の問題を研究する知的な雰囲気がこの町には満ちている。
知識をより深めたい方へ
河出書房新社、ドイツ古都物語
日経BP社、ドイツの田舎町
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