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  コラム

ドイツ騎士団

 最初の騎士団であるテンプル騎士団は、1118年に組織された。目的は聖地エルサレムへの巡礼の保護だった。ローマ教皇は10年後、この騎士団を正式に認める。それから70年後、エルサレムで十字軍兵士の病院をつくっていたリューベックとブレーメンの市民団体が、エルサレム駐留のヨーロッパ諸侯により騎士団として承認された。ドイツ騎士団の誕生である。ドイツ騎士団は教皇の認可もうけて、正式に発足。テンプル騎士団と共に、聖地の警護にあたった。

 エルサレムでの軍事活動が終ると、ドイツ騎士団は「キリスト教の伝導」という旗のもとにプロイセンに進出。バルト海沿岸諸国へ勢力を拡大する。都市の建設、ドイツ人の入植など、ハンザ同盟とも歩みを共にした。勢力が衰えはじめるのは15世紀なかば。17世紀には騎士団とその領地はプロイセンに吸収されていく。

 ドイツ騎士団が本部をコブレンツに置いたのは、1216年のことである。

 

ウイーン会議

 1813年ナポレオンは「ライプツィヒの戦」に敗れ、帝位を廃された。翌年の4月には、エルバ島に流される。これを受けて5か月後にひらかれた会議が、ウイーン会議である。目的は、ナポレオンによってバラバラに分割されたヨーロッパの国土を、新しい秩序のもとに再編成することだった。しかし実体は「ナポレオン以前の旧体制を復活する」ことにあったから、百数十か国の君主や外交官が参加した会議は利害が対立してまとまらず、交渉はサロンやパーティの席上でおこなわれるありさまだった。「1日のほとんどは、舞踏会とパーティーに費やされた」といわれる。主導権をにぎったのは、オーストリア、英国、プロイセン、ロシア、フランス。オーストリアの宰相であり外相でもあったメッテルニッヒは、議長として会議をとりしきった。ウイーン会議の議定書は約9か月後に締結され、会議は終わる(1815年6月9日)。ナポレオンがエルバ島を脱出してフランス軍を再編成、ワーテルローで連合軍に一大決戦をいどむ、わずか9日前だった。

 ウイーン議定書でスイスは連邦国家として認められ、これ以後「永世中立国」となる。

 
 
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ドイツ騎馬団の家(ルートヴィヒ博物館)

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