ドイツの角
モーゼル川とライン川が合流する地点。ドイチェス・エックとよばれ、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の巨大な騎馬像がある。ここからライン川対岸の要塞やモーゼル川にそったコブレンツの市街などの眺めがたのしめる。騎馬像は第二次世界大戦で一度アメリカ軍によって破壊され、1993年にふたたび置かれたもの。1953年から1990年の37年間は、台座にドイツ国旗のみが「再統一の願いのシンボル」としてはためいていた。 この場所の近くには、中世のドイツで重要な役割りをはたしたドイツ騎士団(コラム参照)の本部があった。「ドイツ騎士団の家」がのこっている。
旧市街
ライン川畔から旧市街にむかって歩いていくと、後期ゴシック様式の丸屋根をもつ建物「ドイチェ・カイザー(ドイツ皇帝)」に出あう。16世紀に建てられ、旧市街でただ1つだけ戦争の破壊をまぬがれた建物。現在ガストハウス。宴会場のあるレストランである。
聖母教会
旧市街でいちばん高い場所にあるロマネスク様式の教会。12世紀から15世紀にかけてたてられた。ゴシック様式の祭壇は15世紀のもの。17世紀の鐘楼はバロック様式。
ミュンツ広場
メッテルニッヒ・ハウスがある。1773年、クレメンス・フォン・メッテルニッヒ侯爵はこの家で生まれた。メッテルニッヒはオーストリア・ハプスブルク王家の外交官として、絶頂期のナポレオンを相手にたくみな外交を展開。皇女マリー・ルイーズをナポレオンと結婚させ、ナポレオン支配下のヨーロッパでハプスブルクの勢力を保った。ナポレオンの退位にともなってひらかれたウイーン会議(コラム参照)では、オーストリア代表として出席。議長として会議をとりしきり、保守派のリーダーとなった。しかし1848年のウイーン革命で失脚、英国に亡命する。
選帝侯の貨幣鋳造所があった建物は、1763年の建造。
広場の南に「4つの塔」とよばれる出窓のある建物が、十字路を囲んでいる。出窓には、彩色と彫刻がほどこされている。旧市街への出入りを監視するチェックポイントだった。17世紀の建物の再建。
広場の東のジェズイーテン広場には、イエズズ会のイエズス教会と市庁舎がある。1959年の再建。噴水はシェンゲル・ブルンネン。「コーブレンツの愉快で図々しい青二才」の像がある。
宮殿
ドイチェス・エック(ドイツの角)からほど遠くないところにある。トリア大司教の宮殿。18世紀末につくられたが、現在の宮殿は再建されたもの。ライン川に面した庭園の壁の上に、「父なるラインと母なるモーゼル」の像がある。
エーレンブライトシュタイン要塞
ライン右岸の崖上の台地には、11世紀の小城があった。歴代のトリアの大司教は、この小城を数世紀かけて要塞に改造。この要塞はフランス大革命の時代、フランス軍によって破壊されたが、ナポレオンが没落すると新しい支配者となったプロイセンが改修に着手。15年かけて大要塞となした。しかし戦いにはまったく使用されず、いまなお当時の威容をとどめている。要塞からは、ライン川、モーゼル川、コブレンツ市街、遠くのアイフェル山系までが一目で見わたせる。
ライン右岸にはベートーベンの母親の生家やベートーベンの記念碑がある。
ローレライ伝説をバラード(物語詩)の「バッハラッハの乙女」でうつくしく歌いあげた詩人クレメンス・ブレンターノは、コブレンツで生まれ育った。詩人を教育した祖母ソフィ・ラ・ロッシュも詩人だった。
シュトルツェンフェルス城
郊外へ南に10キロほどいくと、同名の町を見おろす崖上にある。1250年にライン川の通行税をとりたてる城として建設。破壊をうけたが、プロイセン王の命により1836年から6年かけてネオ・ゴシック様式で再建された。豪華な家具、武器や甲冑のコレクションがある。
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