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連絡先

Tourist Information
Brueckenturm am Rathaus,
55116 Mainz
Germany
Phone: +49-(0)6131-2 86 210
Fax.: +49-(0)6131-2 86 21 55
tourist[at]info-mainz.de
www.mainz.de

 
  散策

大聖堂

 正式な名称は「聖マルティンおよび聖ステファン大聖堂」。市の中心地のマルクト広場に、六つの塔をもつ豪壮な姿を見せている。様式としてはロマネスク式教会建築で、オーバーライン(ライン川上流地方)では、シュパイヤーの大聖堂(世界遺産)とヴォルムスの大聖堂と並んでこの教会建築様式の傑作とされている。建設開始は10世紀末、すべてが完成したのは261年後の1236年のことだった。中央の主塔やその他の小塔は、その後18世紀から19世紀にかけて修復されたり復元されたりしてきわめて印象的にそびえている。教会芸術の作品が多く見られ、大司教や参事会の議員、聖人達の彫刻がほどこされた墓碑などがある。中でも西側の内陣にある三つの装飾豊かな墓碑は、大司教だったベルトホルド・フォン・ヘネベルク、ヤコブ・フォン・リーベンシュタインとウーリエル・フォン・ゲミンゲンのもので、一見の価値がある。「大聖堂および司教区博物館」は3千平方メートルの展示室に2百点にのぼる祭服や儀式の祭礼用具など美術品が陳列され、かっての内陣の仕切りも見ることができる。有名な「ハレの聖遺物」もここにある。

 

マルクトブルンネン(市場の泉)

 ドーム広場の北側にある。噴水は1526年に造られ、現在ドイツで最も重要なルネサンス様式の噴水の一つとされている。

 

グーテンベルク博物館

 ドーム広場の北東にある。1900年にグーテンベルク生誕500年を記念して開設された。グーテンベルクは、鋳型による活字を鋳造し、その活字を版型に組んでプレスすることによって大量印刷を可能にする技術を開発したとされている。活版印刷はルネサンス期の三大発明の一つ。この博物館の目玉は、グーテンベルクの聖書である。1452年から1455年にかけて生産され、本としての完成度は高く、世界でもっと美しい本の一つとされている。行組みが42行あるので「42行の聖書」の別称で呼ばれることもある。現在49セット残っていて、日本では慶応義塾大学が一冊所蔵している。グーテンベルクの活版印刷技術は本の大量生産を可能にし、16世紀にマルチン・ルターによって引き起こされた宗教改革では、ルターの翻訳によるドイツ語の聖書が普及するのに重要な役割をはたした(ルターについては、エアフルトの項を参照)。

 グーテンベルクの生涯と作品の紹介、初期の刊行本やさまざまな印刷物も展示され、その中には宗教改革の起爆剤となった免罪符も展示されていて興味深い。グーテンベルクの時代の活字組み作業所や印刷工房も再現されている。

 

ライン河畔

 グーテンベルク博物館からツーリストインファメーションのあるショッピングセンター、アム・ブラントに出て、そこから歩道橋を渡るとライン川の岸辺の遊歩道にでる。河畔には市庁舎、ラインゴールドホールがある。市庁舎は1970年から3年かけて建設され、ラインゴールドホールは1968年に建設された。ラインランド最大の祭りカーニバルでは、さまざまなイベントが催される。近くにある中世の塔アイゼン・トゥルムとすこし離れて立つホルツ・トゥルムは、ラインの流れが塔の側まであったとき、船荷を町に出入りさせるときの検問所だった。アイゼン・トゥルムは1240年頃に建てられた。ホルツトゥルムは14世紀の塔である。トゥルムは塔、アイゼンは鉄、ホルツは木という意味。

 ライン川にテオドール・ホィス橋が架けられたのは1950年。左岸のマインツと右岸のカステル地区をつないでいる。カステル地区はヴィースバーデン市に属する。ローマ時代には、ローマの橋頭堡カステラム・マティアコルムあった。

 

ローマ・ゲルマン中央博物館

 橋からさほど遠くない場所に、17世紀から18世紀にかけて建設された選帝侯の宮殿がある。内部には祝典用のホールがあり、そこに1852年ローマ・ゲルマン中央博物館が設立された。紀元前から古代、ローマ時代、中世紀初頭にかけての遺品や発掘品が、収集展示されている。発掘された収集品を修復する工房やラボも整えられている。博物館に向かい合うかたちで、東側には州議会がある。かってはドイツ騎士団の館だった(ドイツ騎士団についてはコブレンツのコラムを参照)。隣りは州庁。

 

州立マインツ博物館

 建物はかって厩舎で「黄金の厩舎」と呼ばれていた。入口の屋根の上で、金色の馬の像が前脚をたかだかとあげている。ローマが紀元1世紀から4世紀までマインツを基地としていた時代の遺品や、中世ヨーロッパの絵画や工芸品が展示されている。ドイツで最も古い博物館の一つである。

 

旧市街

 大聖堂の南にひろがっている。オシャレな店やブティックの並ぶアウグスティーナ通り、木組みの家が広場を囲む美しいキルシュガルテンはここにある。第二次世界大戦の戦火をまぬがれた15世紀の木組みの家もあり、旧市街にふさわしく石畳の小道が入り組み、散策をすると楽しい。近くにある聖アウグスティナ教会、聖イグナティウス教会が、落ち着いたたたずまいを見せている。

 

グーテンベルク広場

 マインツが生んだ最も有名な人物ヨハネス・グーテンベルク(1398~1468)の像が広場にたっている。グーテンベルクは、15世紀半ばに金属活字を生みだし、活版印刷技術の発展と実用化をすすめた。そして旧約・新約聖書の出版をはじめとして、大量の印刷物を世に送った。印刷技術の発達によってルネサンス期のヨーロッパにおける情報伝達力は飛躍的にのび、16世紀のマルチン・ルターによる宗教改革に大きな影響を与えることになる。ルターがギリシャ語からドイツ語に翻訳した聖書はこの活版印刷によって大量に印刷され、全ドイツにひろまったと言われている。ナポレオンはグーテンベルクを「彼なしには革命はおこらなかっただろう。彼は人類に知識をあたえた」と評している。この広場には市立劇場もある。

 

シラー広場

 ローマ時代にはフォーラムだった広場は、かって貴族の館に囲まれていた。ファスナハト(カーニバルの夜)と名づけられた噴水があり、カーニバルの夜のドンチャン騒ぎの様子が噴水を飾っている。噴水の形状は大聖堂をさかさまにした形になっていて「オフザケが過ぎる」という反発もあるという。ラインラント地方のカーニバルは世界的に有名だが、とくにマインツのカーニバルは「メエンツァ・ファスナハト(マインツのカーニバルの夜)」と方言そのままで呼ばれるほど盛り上がる。

 

聖ステファン教会

 14世紀に造られたカトリック教のゴティック式教会。シラー広場から南に向ってガウトア通りをいくと、66メートルの教会の塔が見えてくる。教会は990年に「神聖ローマ帝国の祈りの場」として建設された。第二次世界大戦で破壊され、のちに再建。画家シャガール (1887-1985)によって、青のステンドグラスの窓が1978年から7年間かけて作られた。この窓を見るために約20万人の人々が毎年マインツを訪れる。

 窓は「青い窓」あるいは「シャガールの窓」と呼ばれ、旧約聖書の物語が窓を飾り、澄んだブルーの光が教会に満ちて、見る者に深い海の底にいるような厳粛な気分をあたえる。「ユダヤ教とキリスト教の相互理解および平和への願い」がテーマとなっている。シャガールはユダヤ系でなので、このステンドグラスの製作にはあまり乗り気ではなかったが、教会の若い牧師マイヤーとの交友をつうじて製作に踏み切った。シャガールはドイツにはやって来ずにフランスでステンドグラスを製作し、謝礼も受け取らなかった。91歳で製作を開始し、完成から間もなく98歳で死去している。

 

ローマ・ゲルマン中央博物館・別館(古代ローマ船部門)

 ライン川はローマ帝国の時代から、物資を運ぶ重要なルートだった。そのためローマの遺物が、多く発掘、発見されている。1981年マインツ市のライン河畔で、ヒルトンホテルの別館建設現場から11隻の古代ローマの軍船が発見された。そのうちの5隻が復元されて、レプリカと共に展示された。ローマの軍船は時速35キロのスピードがあり、漕ぎ手は32名。船首に指揮官、船尾に操舵手が配置された。帆の操作は躁帆手が受けもった。博物館はマインツ南駅(現在はローミシャ・テアトルム駅に改名)にある。

 

ローマの野外劇場

 南駅拡張中にローマの野外劇場が拡張予定地の丘の斜面から発見され、現在も発掘がつづいている。かたちとしては半円形で、アルプス以北では最大の野外劇場とされている。これを機に、南駅はローミッシェス・テアーター(ローマの劇場)と改名された。

 

ドゥルスス記念碑

 ローマの野外劇場を発掘中の丘は中世の城塞跡で、その一角に巨大なドルスス記念碑がある。モグンティアクム(マインツ)に駐屯していたローマ兵によって、29歳で死んだ若き将軍を讚えて建てられた。ドゥルススはローマ帝国初代皇帝アウグストスの娘婿で、紀元前13年からモグンティアクムで軍事基地建設の任にあたった。以後ライン右岸のゲルマンの地の征服に専心し、紀元前9年エルベ遠征から帰還の途中落馬が原因で死去した。

 

ローマ時代の石棺と水道の礎石

 マインツ大学の構内には、ローマ時代の石棺が置かれている。大学は街の東南にある。大学からすこし離れたツァールバッハ地区には、水道を支えた礎石が残っている。紀元1世紀ころのもの。一帯は市民の憩いの場となっている。

 
 
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