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30年戦争とウエストファリア条約
1616年から1648年までの30年間、全ヨーロッパを巻きこんだ戦争。オーストリアのハプスブルク家の支配に対して、ボヘミア(現在のチェコ。そのころはハプスブルクの領土だった)の貴族たちが立ちあがったことによって戦いがはじまった。ハプスブルク家はカトリック(旧教)、チェコの貴族たちはプロテスタント(新教)だった。戦いはやがてヨーロッパ全域にひろがり、上は皇帝、王侯貴族から、新教と旧教の宗教勢力、下は傭兵となった庶民までくわわった。宗教戦争の色あいをもった戦いだったから、戦いはまことに悲惨で複雑なものとなった。30年戦争では、銃や大砲が野戦や城攻めに大量につかわれた。そのため、戦死者もそれ以前の戦いとは比較にならない数にのぼった。
戦場となったドイツはあわれだった。荒れはてたうえに飢餓がくわわり、「30年で人口が3分の1になった」といわれる。しかし30年にわたる戦いでヘトヘトになった各国は、平和を求めはじめる。平和交渉の場として選ばれたのがミュンスターと、100キロほど離れたオスナブリュックであった。「パリとウイーンのちょうど中間にある」ということで、この2つの町が選ばれたのである。ミュンスターには旧教(カトリック)勢力、オスナブリュックには新教(プロテスタント)勢力があつまった。条約が結ばれたとき、2つの町では70門の大砲が3回、一斉射撃をおこなって平和の到来をつげた。しかし30年つづいた戦いで、人々は「平和という言葉の意味さえわからなかったほどだった」といわれる。平和条約は「ウエストファリア条約」とよばれ、こんにちの国際条約のモデルとなっている。
30年戦争は、ヨーロッパにつぎのような結果をもたらしている。
(1)オランダとスイスの独立が承認された。
(2)ドイツ神聖ローマ帝国皇帝の力が弱まった。
(3)アルザス地方と3つの司教区がフランスのものとなった。
(4)プロイセンが、このときからドイツで力をもちはじめた。
知識を深めたい方へ
河出書房新社「ドイツ古都物語」
日経BP社「ドイツの田舎町」「北ドイツ」
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