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  歴史

 司教座(キリスト教布教の拠点)の町、大学の町として知られ、豊かなミュンスターランドの穀倉地帯の中心にある商人の町としてさかえた。大聖堂があり、かっては貴族の館が多くあったことから「低地ドイツ地方のローマ」とよばれることもある。

 8世紀末カール大帝(シャルルマーニュ、742-814)が司教館をきずいて司教座となし、初代の司教に僧侶リュドガを任じたのが町の出発点となった。町の権利を正式にえたのは12世紀。13世紀になると、町はハンザ同盟に加盟。ハンザの組織によって、ミュンスターランドの穀物はヨーロッパ全土に輸出されるようになった。

 

再洗礼派の処刑

 この町は2度、ドイツの歴史上の有名なできごとによってつよい光を浴びた。1つは16世紀(1534-1535)の「再洗礼派(新教の一派)による町の支配」。司教は町から追放され、ローマ教皇は激怒、司教は軍をひきいて町を包囲攻撃。首謀者3人は処刑された。遺骸は鉄の檻にいれられて、ラムベルティ教会の塔からつるされた。この檻はいまでも教会の塔に見ることができる。

 

30年戦争と平和の間

 もう1つは17世紀。全ヨーロッパを巻きこんだ30年戦争(1618-1648。コラム参照)を終らせた平和の場として登場する。市庁舎には、平和条約にカトリック教国の代表がサインをした「平和の間」がある。さほど広くない広間だが、正面の祭壇にはキリストの像が飾られ、広間の3面には代表の椅子がならび、壁にはみごとな彫刻をほどこしたパネルが金色の光沢を帯びている。代表たちの肖像画も飾られている。

 第二次世界大戦末期、町ははげしい爆撃をうけた。町はほとんど破壊され、市庁舎も壊れた。しかしパネルはすべて取りはずされていて、郊外の館に保管されていた。広間は戦後、かっての姿どうりに再建された。町は現在「新ハンザ同盟(ハンザ・ターク・ノイ・ツァイト)」のメンバーとなっている。「世界でもっとも活気ある町(人口25万以上70万人以下が条件)」にも、2004年に選ばれた。

 
 
マップ




フォトギャラリー




歴史的な市庁舎



市庁舎・平和の間



人口湖・アー湖の湖畔

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