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Bierstrasse 22 - 23
49074 Osnabrueck
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Phone: +49-(0)541-323 2202
Fax.: +49-(0)541-323 2709
Tourist-information[at]osnabrueck.de
www.osnabrueck.de

 

 
  歴史


オスナブリュックは、北ドイツ・ニーダーザクセン州の東のはずれにある古い司教領(教会の領地)の町。隣接するノルトライン・ヴェストファーレン州のミュンスターとは、わずか100キロしか離れていない。ミュンスターも司教領だった。この100キロという距離と、2つとも司教領であったということが、ドイツの歴史で重要な役割りを果たすことになる。

  17世紀におこった30年戦争(1618~48)は、全ヨーロッパを巻きこみ、主戦場となったドイツにたいへんな荒廃をもたらした。30年間の戦いで多くの都市が瓦礫となり、ドイツは「3千万あった人口が半分になった」といわれるまでに荒れはてた。やがて平和を求めるうごきが生まれて停戦。会議の場として選ばれたのが、戦火から手つかずで残ったオスナブリュックとミュンスターの2都市だった。オスナブリュックにはプロテスタント諸侯、ミュンスターにはカトリック諸侯が集まり、平和会議は5年間つづいてようやく合意に達した。1648年10月25日、平和条約が締結された(30年戦争については、ミュンスターのコラムを参照)。

 

 オスナブリュックの町は、ヴィーエンという山系とトイトブルクの大森林に囲まれ、ハーゼ川の両岸、とくに左岸にひろがっている。人口は16万強で、そのうちの1万5千人が大学生である。大学は1973年の創設。したがって町は古都の落ち着きと、大学町独特のオープンで若々しい雰囲気が心地よくいりまじっている。

 

 町の発祥の地は、大聖堂のあるドームベルクである。8世紀末にカール大帝(英語、フランス語ではシャルルマーニュ大帝)が司教座(キリスト教布教の拠点)を置き、居住地を建設したことに始まる。「市の権利」を得たのは1147年で、13世紀にはハンザ同盟に参加。中世ヨーロッパで服地の原料だった羊毛とリンネルの輸出で栄え、14世紀始めには古い市街地と新興の市街地(ノイシュタット)がつながるほど豊かになった。

 

 すでに述べたように、17世紀の30年戦争では平和会議の場としてプロテスタント諸侯が集まり、ミュンスターに集ったカトリック勢力と5年間(1643~1648)にわたって和平交渉がおこなわれた。このとき結ばれた平和条約の形式は、その後の国際条約のひな形となり、「ウェストファリア条約」として名高い。

 

 
 
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