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Tourismuszentrale Rostock & Warnemünden
Neuer Markt 3
18055 Rostock
Germany
Phone: +49-(0)381-381 2222
Fax: +49-(0)381-381 26 02
touristinfo[at]rostock.de
www.rostock.de www.warnemuende.de
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町の名前はスラブ語で「だんだんひろくなる川」という意味。バルト海にながれこむヴァルノウ川の内港として発達。スラブ系住民の居住地だったところに、12世紀ころからドイツからやってきた商人たちも住みはじめ、13世紀にはハンザ同盟に参加。繁栄の道を歩きはじめた。絶頂期は14世紀から15世紀にかけて。ハンザ同盟の創設メンバーでもある。
町に繁栄をもたらしたのは「バルト海の通商ルートで、重要な役割りをはたしてきた港」であるということと、この町の人々が伝統的にもっていたすぐれた造船技術だった。ロストックは、北ドイツと東ヨーロッパのちょうど中間に位置している。船材となる木材はポーランドの大森林から安く輸入できたし、船に塗るタールはロシア(ノブゴロド)から安値で買いこめた。ノブゴロドには炭坑があった。石炭を燃やして採集するタールは、手ごろな値段で仕入れることができたのである。船の注文はさばききれないほどあった。ハンザ商人のみならず、デンマークやスウェーデン、ノルウエーの船主からも注文や修理がまいこみ、町には富がながれこんだ。15世紀になると、バルト海沿岸で最初の大学もひらかれ、知識をもたらす大学は「北の光(ロイヒテ・デス・ノルデンス)」とよばれた。 衰退に落ち入ったのは、ドイツ全土を戦場にした17世紀の30年戦争(ミュンスターのコラム参照)とハンザ同盟の消滅(1669年)である。しかし18世紀後半になると帆船の時代になり、造船業はふたたび息をふきかえす。
次の衰退は、第二次世界大戦でもたらされた。港は連合軍によって徹底的に爆撃された。戦争が終わってドイツが東と西に分断され、旧東ドイツ領の時代になると、東ドイツ政府は港の設備をひろげ、造船に資金をそそいだ。しかし東西ドイツは1990年に再統一され、造船のコストは国際競争にたちうちできなくなる。ロストックの造船業は壊滅的な打撃をうけ、失業者が町にあふれた。そのとき救いの手をさしのべたのが、かつてのハンザ同盟だった。盟主リューベックが音頭をとって「新ハンザ同盟(ハンザ・ターク・ノイ・ツァイト)」が結成され、ハンザに関するさまざまな行事が企画された。純白の帆に風をうけてヴァルノウ川やバルト海をはしる帆船パレードは、ロストックの年中行事となり、夏だけで100万人の観光客をあつめている。
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