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Fax: +49-(0)761-3881-887

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  歴史

 夕景の美しい町。太陽がライン対岸のフランスに沈んでいくと、残照の中に町のシンボル、聖母マリアの大聖堂がきらめきたつ。円錐形の尖塔が透かし彫りになっているので、光が隙間をつらぬいて走りでるからである。西の空にはカイザーシュトゥールの台地やフランスのヴォージェ山脈が夕映えに浮かび、東には黒い森(シュヴァルツ・ヴァルド)の分厚い森林が深い緑にかがやいて、色彩の饗宴をくりひろげる。

 

シュロスベルク

 夕景のあざやかさを眺めたいのであれば、町の北にあるシュロスベルクの高台に立つといい。シュロスベルクは城の山という意味。17世紀末、領土の拡大に熱心だったフランス王ルイ14世(太陽王)が城塞を築き、5000の兵を駐屯させたことから名づけられた。城塞はオーストリア・ハプスブルク家への押さえだった。

 

交易路

 町から西に向って10数キロいくと、ヨーロッパの交通の大動脈ライン川が南から北に向ってながれている。ラインの流れを横切って、東のウイーンと西のパリを結ぶ街道が交差していた。町はその交差点に位置していたから、古くから交易で栄えた。それだけになんども戦いに巻きこまれ、そのつど支配者がかわった。

 11世紀、町はツェーリンゲン公爵家によって築かれた。1218年、支配権はウーラッハ伯に移る。この伯爵家からフライブルクは1368年に所有権を買いとり、自らすすんでオーストリア・ハプスブルク家に所属を申しでた。この時代のドイツは、神聖ローマ帝国といった。領土も最盛期にはチェコやオーストリア、北イタリアまで及んだが、帝国とはいうものの国家としては諸侯や司教の連合体にしかすぎず、決して強力な一枚岩ではなかった。皇帝も実力ではなく、選挙で選ばれた。そうした状況のもとで、町は最も力のあったハプスブルク家に保護を求めたのである。

 

ハプスブルク家

 ハプスブルク家でとくにフライブルクに好意を示したのが、中世最後の騎士と呼ばれた神聖ローマ帝国皇帝のマクシミリアン1世(皇帝在位1508-1519)だった。商業都市として、町にもろもろの権利を与えた。その名ごりは大聖堂の広場にあるカウフハウス(商人の家という意味。旧商館)やコルンハウス(穀物倉庫)に見られる。

 

 さらにオーストリア・ハプスブルクへの傾倒をはっきり示しているのは、カウフハウス(旧商館)のファサードに立つ4つの像である。左から右に、皇帝マクシミリアン1世、彼の息子で若くして死んだ美男公フィリップ(妃はアメリカ大陸を領土としたスペインのカトリック両王イザベルとフェルナンドの娘ファナ)、2人の間に生まれたカール5世(祖父のマクシミリアン1世の後を継いで皇帝となる。スペイン王にもなったから、新大陸アメリカの富も受けつぎ、強大な力を誇った)、カール5世の弟フェルディナンド1世(ハプスブルク家を継いで大公となり、のち兄の退位によって皇帝となる)。出窓にはハプスブルクの王族の紋章が飾りつけられている。王妃マリー・アントワネットがルイ16世との結婚のためパリに向かうとき、ハプスブルク領の最後の日をすごしたのもこの町である。このようにオーストリアとの結びつきが深く、フランスにも近くて、その支配もうけたという歴史から、この町の雰囲気にはドイツ的な重厚さとラテン的な明るさが微妙にいりまじっている。ナポレオンの時代には、バーデン大公領に組みいれられた。交通の要(かなめ)であったため、第二次世界大戦で市街のほとんどが破壊されたが、現在はエコ・シテイーとしてうつくしく生まれ変わっている。2万4000人の学生が学ぶ大学都市でもある。

 

 
 
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