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  歴史

 マイン川とライン川が合流する辺り、タウヌス丘陵の麓にあるヘッセン州の州都。フランクフルト国際空港からタクシーなら30分、Sバーンでも30分。州政府の官庁も多い。保養地(クアオルト)としても有名である。

 古代ローマ時代から温泉地として知られていて、アクア・マティアコルム、つまりこの地にいたゲルマンの部族マティアーカの名をとって「マティアーカの水」とよばれていた。記録にあらわれる最初の町の名はヴィズィバーダ。つまり「ヴィーゼ(草原)」の「バーデン(浴場)」。源泉はいまでも26ある。

 この町は第二次戦争大戦で被害をうけなかった。それに19世紀から20世紀初頭にかけて王侯や貴族が保養で滞在したため、優美な建物が多い。それだけに町はゆったりとした優雅な雰囲気につつまれている。ショッピング街はセンスのよい店が並び、上品な客でにぎわっている。いわゆる、住み分けのきいたエレガントな町といえるだろう。

 

 ローマの要塞がきずかれたのは、クラウディアス帝の時代(皇帝在位紀元41年から50年)。ローマ式浴場は、町の北にある「コッホ・ブルンネン」とよばれる源泉の辺りにあった。

 

 13世紀、一帯はナッサウ家の所有となる。神聖ローマ帝国(ハイデルベルクのコラム参照)の宮廷がおかれて帝国都市となったが、マインツの大司教によって攻撃され、破壊された。17世紀の30年戦争(ミュンスターのコラム参照)のときも被害をうけた。しかし領地がナッサウ家にもどされ、1806年にナッサウ公国がもうけられると、ヴィーダーマイヤー様式の館や別荘のならぶ保養地として町は繁栄をとりもどした。ヨーロッパ各地から賓客がおとずれ、その中には文豪のゲーテもいた。18688年ドイツ帝国成立を3年後にひかえ、プロイセンはナッサウ公国を併合。第1次世界大戦でドイツ帝国が崩壊するまで、ドイツ皇帝や宰相、廷臣たちの夏の所在地として華やかな宮廷政治や外交がくりひろげられた。市街がうつくしく整備されたのも、この時代である。

 

 落ち着いた町の雰囲気は、芸術家や文人たちもひきつけた。ブラームスはここで第三交響曲を完成させ、ワグナーは楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の作曲にいそしみ、ロシアの画家ヤウレンスキーは後期の作品「メディテーション」を仕あげた。温泉はいまでもリュウマチ治療に利用され、近代的な療養施設もととのった保養地としてひろく知られている。

 
 
マップ




フォトギャラリー




クアハウスと公園



マルクト教会、マルクト柱と市庁舎



ワインハウス「クーグラー」



ロシア教会



ヴェラ・クレメンティーネ



リチャード・ワグナー

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