バイエルン州のフランケン地方は上、中、下の3つに分かれる。町は下フランケン地方の首府としてマイン川の水運にめぐまれ、司教領としてさかえてきた。司教領とは「司教が領主として治めた領地」のこと。司教の上にたつ者はローマ教皇のみであり、王でも皇帝でもなかった。宗教の権威で統治されていた領地と解釈すればよい。
紀元前1000年ころ、すでに現在のマリーエンブルク要塞がある丘にはケルト人の砦、麓には集落があった。7世紀、西フランケン伯が拠をかまえる。このようにはやい時代から人口の集中があったので、キリスト教の布教者たちも足しげくやってきた。司教の管轄区となったのは8世紀なかば。11世紀になると、町は皇帝コンラート2世から都市権(貨幣を鋳造する権利、税金をとる権利、マーケットをひらく権利)をえて繁栄した。
フリードリヒ1世・バルバロッサ
12世紀になると「赤髭(バルバロッサ)」の異名をとった皇帝フリードリヒ1世(ホーエンシュタウフェン家)がブルグンドのベアトリックスとこの町で結婚式をあげた。フリードリヒ1世は、中世の騎士道の花といわれた皇帝でもあった。皇帝はヴュルツブルクの司教を公爵に任じ、司教は「司教公爵」となって力はさらにつよまった。町はワインの生産、集荷、販売の中心地であり、マイン川、ライン川、ドナウ川と3川を運河でつないでいたから、ヨーロッパ中に物資を集散させる水運の中心地として発展した。利益をめぐって市民と司教の衝突がたえなかったものの、町は発展をつづけ、17世紀と18世紀にかけてバロック様式の姿をととのえていった。1815年にはバイエルン王国に併合。第2次世界大戦末期には爆撃をうけて町のほとんどが破壊されたが、世界文化遺産であるレジデンツは破壊をまぬがれた。
芸術家
3人の芸術家が、町に大きな業績をのこしている。16世紀の彫刻家のティルマン・リーメンシュナイダー、18世紀の建築家バルターザー・ノイマンとヴェネチアの画家テイエポロ。3人の作品はレジデンツに凝縮されている。
フォン・シーボルト
幕末の日本で西洋医学を教えたフォン・シーボルトも、この町の出身だった。日本女性との間にイネという娘をもうけた。イネは日本で最初の女医となった。シーボルト博物館がある。シーボルトの胸像は、ショル兄妹広場にある。
X線の発見者レントゲンは、世紀の発見をヴュルツブルク大学でおこなっている。
Siebold-Palais / Siebold-Museum シーボルト博物館
Frankfurter Straße 87, D - 97082 Würzburg
TEL: +49 (0)931-41 35 41
FAX: +49 (0)931-61 92 240
http://won.mayn.de/kultur/siebold-museum/ (日本語バージョンあり)
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